ハケンの女~飲食店~

最近、日雇いのバイトを始めた。
旦那が休みで、子どもの面倒を見れるときだけ。
ちょっとずつ社会復帰、リハビリみたいなもんです。

今のとこ、いろんな所で仕事させてもらって、
ほんと世の中って色々あるんだなーと勉強させられることばかり。

さて。
今日は飲食店のホールのお仕事。
50人規模の宴会で、
お食事出したり
下膳したり。

約二時間、とにかくバタバタ。

広いお座敷、お客様が自由に移動してお酌したり語り合ったり…
の間を縫って、配膳。
仲居さんが配膳はしていくので、私はお料理が沢山載ったお盆を、とにかく落とさんようにこぼさんように、慎重に運びながら仲居さんの後ろを付いていく。

間で下膳。

すんごい量の皿が帰ってくる。
裏の皿洗いのおばちゃんはたった一人。
とても追いつかず、
私も食器を拭きあげるお手伝い。

また次のお料理が出てきたら配膳。

また食器拭き。
黙々と拭き続ける…

あっという間に二時間経過。
おひらき。

お客様の靴を玄関に並べ、
番号札と照らし合わせてご用意。

さぁ、後片付け…
もう、ここが今日のハイライトやね。

残食量の多さ。
全く手を付けてないものも沢山。

飲みかけ沢山。
そんなに瓶ビール開ける必要あった?

『フードロス』とか言うことば、
最近良く聴かれるようになったけど。

いやこんなにロスしてんのか!!
めっちゃくちゃもったいない!!!

残ったお食事だけで充分宴会できる。

せっかく頑張って作ったのにね…
頑張って運んだのにね…

これは虚しさ半端ないわ。

お酒呑んだらお食事が入らなくなる、とか
おしゃべりに夢中で、とか
好きじゃなかった、とか

いろんな理由はあるだろうけどねぇ~

私はけっこう、
『出されたものは残さず食べる』主義なもので。

カルチャーショックってこういうことね、と実感した出来事でございました。

お疲れさまでした~

嵐の活動休止についての一考察

もう、だい~ぶ前のことになりますが(笑)

大事件でしたので
まとめておきましょう。

第一報を聴いたのは、日曜の夕方のことでしたね。
友人からのLINE…
ただ、
『嵐。。😱』
とだけ送られてきた
…けど、これだけで充分予感はできた。
…あまり良くない方面ね、ってこと。

慌ててネットニュースを確認…
『嵐 活動休止』
の文字。

まぁ、いつかこんな日は来るかなーなんて
うっすら思いもしてたし、
なんとなく私の中の“嵐熱”は冷めつつあったし、
活動休止(これが当初は“解散”の意に感じてた)と訊いて…
びっくりするまい、悲しむまいと思う自分がいた。
そう、言い聞かせたわけです。

とりあえず夕方の家事をこなす。

家族が寝静まったあと、
ひとり「Mr.サンデー」の嵐の記者会見を観る。

やっぱり翔くんの語りは冷静だった。
でも、内心溢れだしそうな想いもあったんじゃないかなぁ。
少し早口になって、
涙目だったような…

いや、初めはニノの結婚きっかけかと思ったよね正直(笑)

ごっつごつ。
最近のテレビは高性能過ぎてあかんな…
アラも隠されへん

個人的にはね。
もうここで終わりで良いんじゃないかなぁなんて考えたり。

急に登山例えっ(笑)
いや、でもそんな感じの心境なんじゃないかと…

ゴタゴタと、あることないことくだらねーことニュースになりますな(笑)

そんな~時代も~あ~ったねと~
き~っと~笑って~はな~せるわ~

…話せるかっ(笑)

2020年まで。
見守ることにします…。

そして放置

いやー
一ヶ月経つのがあっという間です
もう年末やって

年賀状、
大掃除、
なんやかんや…

子どもがわちゃわちゃ…

もう、

あっ

って。

気づいたら一日終わってて、布団の中におります…

年末と言えば
M-1グランプリでしょうかね。

急にっ

いやまぁ、なんやかんやで毎年見ますしね。

今年こそは和牛かと思いましたが…
オレオレ詐欺おもろかったけどなぁ
むちゃくちゃ練り込まれたネタやったし、
ものすごく絶妙な間で
良い~表情みせてたし

まさかの霜降り明星
勢いに押されたねー

そんな年末です
どんな年末だ

来年も良い年になりますように。。。

連鎖

親子の関係性というのは…

連鎖していくもんなんでしょうかね

昨日サラッと触れましたが
私の母方の祖母の話

祖母は母を一方的に絶縁しています
出戻った叔父と一緒に暮らしている…はずですが
実家もいつの間にか売り払われており
音信不通の状態

そもそも祖母は
母に今の父との見合い話を持ってきて
当時彼氏がいたにも関わらず
それを知らないフリをして
ゴリ押しした
その当時の時代的に
親に背いてまで彼氏と駆け落ちするなんてことはまず考えられかったらしく
その見合いをして
結婚したらしい

まぁそうやって結婚してくれたから
私も弟も産まれたし
感謝ですけども

本当に好きな人と一緒になれなかったって
それはやっぱり悲しいよねぇ

その彼と出会ったのもまた
“祖母がゴリ押しして決まった”職場でのこと

祖母に敷かれたレールの上で
祖母に踊らされた…
と言ってもおかしくない母

だから私には
自分で自分の将来を選択できるよう
育ててきたらしい

うん
今の私には
そんな母の選択
考えられない
絶対自分が思うようにやるよ…

そんな母を
可哀想だなと思う反面

そんな運命を祖母のせいにして
悲劇のヒロインぶっているようにも見えて

そんな昔のことどうこう言ったって仕方ないじゃないかって
(いや実際にはどうこう言ってはいないんだけどね、なんかそんな感じの不満が滲み出てる)

自分なりにこれから先を開拓していったら良いじゃないかって思うんだけど
ある意味祖母に“支配されてきた”母にとって
今さらそんなことは難しいんだろう

で、
ウチの父というのが
周りからも太鼓判の
むちゃくちゃ良か人間
ってことだったから、見合いを進めて
結婚した当初は祖母も大絶賛だったらしいんだけど

まぁなんせ、若い頃から自営業立ち上げてワンマンでやってきたもんで、
かなりの頑固者で
しかも昔の人間だからねぇ

母に辛く当たることも多く…

その愚痴を祖母は沢山聴かされることになり
祖母はおそらく
こんなはずじゃなかった
と思ったことでしょう

もう実家に帰ってこいと母は何度も言われたらしい
それでも私と弟がいたから
母は
がんばる、
帰らない
と言っていたみたいで

祖母にとっては
自分に従わない娘なんて
もう娘じゃない
と徐々に思ってきたのか…

そして昨日書いたように
我が家はみんなドライなので(笑)
徐々に連絡も減り、
実家に立ち寄ることも減り…

んで、私が知らないところで
なんやかんやイザコザもあったのかもしれない

そんなこんなで
もう修復不可能なところまで来ていた

…のが私が結婚する頃ね。

ここに至るまでの間…
子どもだった私がそんな事を知る由も無く。

私が小さいころ
母の実家にも良く帰っていたし
祖母も頻繁に遊びに来てくれていたから
祖母になついて
私は祖母が大好きだった
祖母と一緒の布団に寝るのも大好きだった
祖母の料理はなんでも美味しかったし
なんでもないカレーですらむちゃくちゃ美味しかったし
聞き上手の祖母に色んな話をして
めちゃくちゃ良いリアクションしてくれる祖母の姿が嬉しくて
いつしか私は
「祖母のような聞き上手になりたい」
と思うようになった

結婚式のお色直しは祖母にエスコートしてもらうんだと決めていた
ひ孫の姿も見せたいと思ってたし

でもそれはついに叶わなかった

私が就職して数年は
私ひとりで会いに行ったりしてて
だからそこまでの様子はわかってる

でも母や父は私が高校卒業以降ぐらいから
会いに行ってないんじゃないかな
忙しさを理由に
意図的に…?どうしても…?
どちらかはわからないけど

でも私が結婚する数年前ぐらいから
なんやかんや理由をつけて
私にも会うことを拒み続けるようになった
叔父経由で

そうこうするうち連絡は途絶えた

今も元気でいるのかはわからない
年賀状だけは送り続けてるけど、返事は無い
…けど、宛先不明で返ってくることもない
届いてはいるってことだろうか

祖父は亡くなったらしい
私が結婚する少し前に

それもしばらく経ってから
叔父から手紙が送られてきて初めて知った
母も、ですよ

実の父の死に目にも会わせないって
よっぽどの恨みがあるんだろうか

それで母は
もう諦めっていうのか
逆ギレっていうのか…

もうそれ以上の追及もしないんだって

私は納得出来なくて
抗議と
あと墓参りぐらいさせてほしい
って旨の手紙を送ったけど
的を得た返事は返ってこず

それでも納得出来なかったから私ひとりで母の実家まで行ってみたら
実家は引き払われ
叔父の経営していた場所も閉められていて
…っていうのがわかった


そう言えば祖母自身の親戚関係も仲は良くなかった
叔父が就職のとき、祖母の兄に世話してもらったけど後にいじめられたとかなんとか
そのあたりから?
仲がこじれて…
私も小さい頃は
曾祖母宅にも遊びに行ったりしてて
徐々に疎遠になってたから、関係性が崩れていってるのは私にもわかったけど
私が高校卒業後ぐらいの曾祖母や大伯父の葬儀にも参列したし
だから親兄弟の死に目には会えてる祖母

母にはそんな仕打ち
優しい祖母だと思ってたのにな

孫の私が
祖母と母の間をなんとか取り持ちたかったけど
無力過ぎました

今はもう奇跡を願うしかない
もう一度祖母と会いたいけどな
ひ孫にも会って欲しいんだけど

そんなこじれた母娘の関係を間近で見ていて
なのに母に嫌悪感を感じる私がいて
そんな自分に危機感を覚え
母となった自分は娘に何が出来るのだろうと
今は試行錯誤です…

どうにか、嫌な連鎖を絶ち切りたい。
と、思っています。

連絡

以前ここでも書いたように

私と、母との関係性はイマイチ

って私だけが思ってるかどーだかはわからないが💦

結婚して家を出ても
実家に遊びに行ったり
電話したり…
連絡を頻繁に取ってる親子はおそらく多いだろうと思われる中、
私はほんっとに連絡しない(笑)

たぶん就職して実家を出た頃からだねー。
実家まで車で一時間半あれば帰れた距離だったけど、
半年に一度しか帰らなかったし
電話もほとんどしなかった。

で、実家の方からも連絡は来なかった。

これ。
よー考えたら…

あれ?

だよね…

ろくに連絡もしない親不孝な娘。

でもさ、親は心配してなかったのか…?
別に連絡来たら来たで
「うぜーよ、もう連絡してくんなよー」
なんて言った覚えはございませんよ?
母も、父も…

まぁなんつーか、
連絡無いってことは元気な証拠だ!
ぐらいに思ってたんでしょうか…
…まぁそういうことにしよう(笑)

そう考えたら、
私、薄情ね…
とか思ってたけど
うちの家族みんな薄情ね(笑)
なんやろ、薄情って言ったらちょっとひどいけど、
ドライね(笑)

旦那は男だけど(そりゃそうだわ笑)
今、実家が近くで
家族でお世話になることも多いしってことで
まぁまぁ実家に連絡はしてる、だけに
(というわけで、男より女の方がマメだろう、みたいな認識のなかで、意外にもウチの旦那は、ってことです。)

私が実家に連絡しないことを
多少不思議には思ってるでしょう…
口には出さないけど

遠方に嫁いで以来
半年に一回は帰省してたけども

今年の年末年始は
・我が子たちが小さいのでわちゃわちゃで帰省の旅路が大変そう
・昨年冬の帰省の際には家族中でインフル蔓延してしまい何も出来なかった
・年末年始の飛行機代がやたら高い(それでも新幹線よりは安い航空会社なんだけど)
・夏の帰省時、正直私、疲れた思い出しか残ってない

みたいなことを理由に
(4つ目は口が裂けても言えんが)
今回は帰省やめとこかってことになって

そのことを
孫たちと会えるのを楽しみにしているであろう両親に早く報告せねば…電話せねば…と思ってて。

でもさー、
うちの実家、電話できる時間がめっちゃ限られてるの😵
両親とも仕事終わって帰ってくる時間は遅い
…割りに寝るのは早い(笑)
で、その電話可能な時間に、

我が家は
夕飯食べてー、風呂入れてー、
早よ着替えなさい!
歯磨きはー?
おもちゃお片付けしてよー!
…な時間なのでわたわたしてて、

結局こちらが落ち着いた頃には
じいじばあばも寝てるわけで…(笑)

そんなこんなでタイミングを逃してたんだけど
先日ようやく電話できた
そしたら

「仕方なかよ、子どもふたり連れて(帰省するの)は大変やもん、ほんとはこっちがそちらへ行けたらよかとけどね、なかなか行かれんでごめんね」
と、父。
もしかしたら強引に
「飛行機代は出すけん、どがんかして帰ってこれんとかー!」
とか言われるかなーって思ってただけに、ちょっと拍子抜け。
いや、今までの累積データからいくとそう言いかねんやったとよ。

そして母も
同じような感じで割りとあっさりとしていた。
この一年で、母は
ひとりでこちらに来て
孫たちの行事ごとに参加できる機会が増え、
「あっ、私ひとりでも来れるな」
って自信がどうも付いた様子。
(それまでは、遠方だし父と一緒でなければ来れないって感じだった。父とは仲悪いのに笑)
だから会おうと思えば会えるって気持ちがどこかにあるのかな。

そして、母に
最近ややこしくなった
下の子のことも話すと
さりげなく育児のアドバイスをしてくれて

それを素直に受け入れた私がいた。

あ、まだ母を受け入れられるんだと

自分で自分に安堵した

母は、自分の母親に
(もう表現がごちゃごちゃなってきた~)
一方的に絶縁されていて
それもここ数年の話

私と母はそうはなりたくないと
思ってたから

それは本当に良かったと思ったのよ

私も少しずつ
母を赦して
…って母は何も悪いことしてないしさ(笑)

恐らくこれから
ボケたりして
受け入れ難くなっていく母を

受け入れる心の準備は
しとかんばやろなと…

思う年末でございます。

放置のクセがすごい

えー
気がつけば
前回更新から1ヶ月以上過ぎてるじゃないか

最近はジャニーズネタも
めぼしいもん無いないしなぁ

そうそう
ちょっと前に
関西ジャニーズJr.のライヴの舞台裏に
ビビットが密着してて

よこちょやたっちょんが熱心に指導されていて

素晴らしいなTBS
TBSはタッキーがジャニーズJr.の頃から密着とかしてくれてたんだよ

一年前?ぐらいには
東京のJr.に密着してて
丸くなったサンチェさんが映って(笑)

えー全然怒鳴ってないやん(笑)
『出来ないんなら帰っていいよ』
って言うてはったやん(笑)

ちなみにその言葉を真に受けてホントに出ていったのは

大野くん

そしてマサ(笑)


いやはや

関西Jr.もしゃかりきにがんばってたなぁ

良いなぁ!

おばちゃん応援したいなぁ!

そしてよこちょ貫禄出てきたなぁ!
関テレで大忙しやなぁ!
ここのところ関テレ出ずっぱりで
関西住んでて良かったと思えた瞬間やったなぁ!(笑)

すっかり関西にどっぷりや~♪

母と娘の関係性

イヤイヤ期。
“魔の二才児”なんて言葉もあるぐらいややこしい二歳ですが、
やっとそれを乗り越えたー✨と思ったら…
今度は

“悪魔の三才児”

らしい…

いやまさに。

ほんとそれ!!!

まじ、悪魔!!!

最近、娘の幼稚園の名札がボロボロに。
どうやら自分で噛んでるらしい。
家でテレビなんか見てる時でも、無意識に手に持ってるオモチャなんかを噛んでる。

娘は赤ちゃんの頃からずっと指しゃぶりをしてて、それが最近止んだなーと思ってたんだけど。

そもそも指しゃぶりは娘にとって、“不安解消のための手段”だった。
知らない所に行ったり、知らない人と関わったり…
そんな時には特に指をしゃぶって離さなかった。

それが無くなった今…
それでも心のどこかに抱えてる不安とか、ジレンマみたいなものを
無意識のうちに“口”から解消しようとしてるのかな。

娘は幼稚園ではおりこうさん。
先生の言うことも良く聴いてるみたいだし、
給食は残さず食べるし、
お友達とも仲良くあそんでるみたいだし。

一方、家では…
母の言うこと聴かん、
お野菜残す、
弟とケンカする…

ワガママ放題でどうしようもない。

で、母には怒られっぱなし。

そのへんのストレス、なんでしょーか?
噛み噛みが出てしまってるのは。

幼稚園でおりこうにしてる分、家では自由に振る舞うぐらいの方が子どもらしいバランスが取れて良いんだろうけど、
こっちはたまりませんわ。さすがに。

そうやって、母にガミガミ言われてても、
てかこんだけ怒られてる今の方がむしろ?
と言うべきか、
『おかーさんじゃないとイヤ!!』
がすごい。

なんやろ、人質が犯人を好きになってしまう心理と似てるのかしら(笑)
これだけ私が怒ってるから、
お母さん私のこと嫌いにならないで、
って思ってんのかなぁ…

勿論娘は可愛いよ、
可愛いからこそ、将来困らないように
いわゆる“躾”として厳しく言ってる…
のと、まぁ単純に腹立ってるのもあるけども(笑)

こんな怒りも鎮められないような未熟な私でも、
母として必要としてくれるんだろうか…。


今、私が母に対して抱いてる
不信感?
みたいなもの…
というか、
実家に帰っても全然気が休まらない、
母の言動にイチイチ苛々させられ、
目も合わせたくない、

みたいな感情

私だって子どものころは確か
『おかーさんが良い』
って思ってた時期があったはずなのに
第二次反抗期やら何やら越えた後には
母は“クラスにいても絶対友達にならないタイプ”に変わっていた

娘がいつか
私に対してそんな感情を持ってしまったら
悲しいなぁ…

とか思ったら今の私の感情は
母に申し訳ないとも思うけど
どうしても嫌で

母と娘は
同性だけに
難しいよねぇ
しかも血縁関係がある

あ、ちなみに
私はこれだけイヤだイヤだと言ってるけど
旦那に言わせれば
私と母は似てるらしい
似てるってことは
私自身の認めたくない欠点が
母を投影してみえてるんだろね

結局
親子なんだなぁ

これから母も老いていくのに
それこそ認知症とかなっちゃって
どうしようもないこと言い出しちゃったりしたら
受け入れられるかなぁ

…随分話がそれてしまった(笑)
でもま、どちらも母と娘の話。
私と母
そして
私と娘

試行錯誤は続く…。