しがみついていたのは私だった

母の夢を見た。

 

コロナ禍でも一回見たんだよねー。

母が死んだ夢。

それは以前書いたけども。

 

今回は、

母と喧嘩していた。

 

〜〜〜

 

実は現在、

母との連絡が途絶えていて。

そもそも、頻繁に連絡を取り合っていたわけではなかった。

母から何か届いても、私の返事も随分遅かったり。

その逆も。

 

今年の新年のあいさつ。てか話したかったんやけど。LINEを送ってもなかなか既読がつかない、しばらくして既読は付いても返事が来ない。

音声通話なんて、絶対出やしない。

子どもたちがばあばと話したいと言うから通話してみるけど、一切。

 

それからしばーらくして、LINEの返事は届くけど、私が送った内容とは微妙にズレた返答で。

じゃあ、ちょっと詳しく話も聴きたいから今度電話していい?

都合の良い日時ある?

と送るが、返事無し。

 

…完全に拒否なのか。

これ忘れてるとかのレベルじゃないよね…

 

これまでも喧嘩は沢山してきたし、

価値観の相違は大いにあるな、とは感じてた。

そして今思えば、私は母の地雷を踏むような事もいくつもしてきた。

…それも、親子の甘えというか、私なりの正義みたいなもん振りかざして、いいやん別に、みたいに思ってたけど。

 

それでとうとう沸点に達したのか…。

昨年から母は体調も悪そうだったし。

それでメンタルも落ちてそう。

 

今さら、これまでの所業を謝る…とか…

なんかな、出来ないな…

私の変なプライドが邪魔して…

母も相当高い、厚い壁を作る人なので、雪解け的なシチュエーションが全く想像できないし…

 

母が返事をくれなくても、定期的にメッセージは送って様子見か、

逆にこちらからはアクションを起こさず母が軟化するのを待つか。

 

むむむ

 

ここまで母との関係修復にこだわるのは、私と母の、というより、子どもたちとばあばの関係性を維持したいから。

私が祖母との関係が途絶えてしまったことが、すごく寂しかったから。

 

母は父とも不仲なので、現在家庭内別居状態で

母の状況を父から聴きたくともようわからんし、

弟はそうでもないけどようわからんし(笑)

(…あ、弟に聴いてみればいいのか

今度電話してみよ…)

 

そうやって、母の状況がつかめないまま返事が来ないあいだのこと

夜中、なんかふと目が覚めて。

暗闇のなか、

 

もしかして母は死んだんか?

 

と突然よぎって。

しばらく眠れなくなったんやけど

そんなわけない、そうなったら当然連絡もあるはずやし、と思い直したら

数日後にLINEの返事は来たから。

まぁ生きてましたよね。

ずっと母の事を考えてモヤモヤ…

 

さて、長くなったが

ようやく冒頭の夢の話です(笑)

 

〜〜〜

 

夢は、

私が実家にいて

LINEの返事が無いことに対して

母に

どーして返事くれんとね!!

ってすごいわーわー文句言ってて。

興奮のあまり涙も出てきて、

母もなんか反論してたけどそんなん聴こえなくてとにかく私が泣きながらわーわー文句言ってる…

 

〜〜〜

 

ところで目が覚めた。

実際に涙で顔が濡れて、鼻水も出てぐちゃぐちゃだった。

手探りでティッシュを探して

とにかく顔を拭いた。

 

あんなわーわーするタイプの喧嘩

結婚前まではふつーやったな汗

疲れるわー!

しんどいわー!!

って思ってたけど

意見をぶつけられない今のほうが辛いかもな

 

そしてふと

 

しがみついていたのは私だった

 

と思った。

 

母の呪縛が解けない

的なことを思っていたけど

そうじゃない

私が離れきれんだけやった

 

母もひとりの人間で

思うように生きていきたいだろうし

私の思いだけで

どうにかするのは違う

 

LINEの返事が来ないなら

もう仕方がない

執着するのはやめよう

もう私は私の日常を生きようと

夫や子どもがいる

この目の前の生活を

生きていくしかないよねー

 

なんだかちょっとスッキリした気分。

母と私の関係性も

孫と祖母の関係性も

なるようにしかならないだろう。

 

 

 

 

 

占いは信じ…

ません、と言い切れるわけではない。

いや、盲信してはいない、いないのよ。

若いころは割とハマったの。

いわゆる占い師さんのところには何軒か訊ねていきましたね。話題のところには。

でも、朝の情報番組の星座カウントダウン的なやつに今日いちにちのモチベを左右されるのは、なんか違うと思い出してからは占いから離れていった。

 

そんななかでも、これは説得力あるぞ、と友人と話したのが

占星術

いわゆる細木数子の、あれですね。

ただ細木数子は明らかに胡散臭かったので

まーその、運気のバイオリズム的なものはきっとあるのだろうと、そんな結論に。

あと、動物占いの更に細分化されたやつも六占星術ベースなので、

そのふたつはなんとなく今も

ベースにあるというか…。

 

で。

 

今、細木的なやつだと

今年は三年あった大殺界の一番最後の年。

結局こじつけかもしれんけど、

この数年はツイてない事は多かったようにも思えて。

おそらく今年いっぱいまで、

いわゆる冬の時期、ジタバタせずじっと冬眠して、暖かい春が来るのを待ちましょう、的な運気だと認識していて。

 

ところがです。

今日。

突然、宅配便が届いた。心当たりはない。

配り間違いかもしれないので、最低限の範囲をそーっと開封して中身を確認すると…

なにやら私、懸賞に当選したらしく。

中身は、ちょっと高級な便利家電。

 

えっ。

 

そんなん応募してない…

と思ったけど、調べ直したら

「応募者全員に当たる!」キャンペーンには確かに応募していて、

そのダブルチャンスとして用意されていた

当選者数名の高級家電が

当選してしまったらしいのです…。

え…

すごい…すごいけど…

 

…言っていい?

 

この手の便利家電…

私はそんなに必要ではない…

てかウチの狭い台所に、置く場所もない…

 

どうしよ…

 

こんな、懸賞とか当たったことないし。

こういうのってさ、やっぱり欲を出すと当たらないもんよね。

でも…無欲って…

当たるもんなんやね…

 

さて…

これをどうしようかと。

 

無理やり使う、ってのも

なんだか…

例えばですけど。

某フリマサイトで、

売っちゃう?

 

いやーでもさすがに、せっかく頂いたものをいきなり売りさばくとか…

バチ当たるよね…

 

とか考えてたら

テレビで政治家のキックバック問題のニュースやってて

こいつらもっとすごい金額レベルで私腹肥やしといて、罪にも問われなさそうなかんじなのに

私の売りさばき問題なんて些細なもんじゃない??

って思えてきた…。

ましてや、もしそれでこの家電が売れたとして

おそらく販売額以下だろうし

送料や手数料取られて

手元に残るのは品物の価値よりも低い金額。

その売り上げだって、生活のために使うことになって、贅沢に使うわけではない。

 

…と、なんやかんや正当化して…

私の心は決まりつつあったのだけど。

帰宅した夫に再び

バチあたり問題

を提起される…。

 

んー

 

懸賞に当たる、という

奇跡が起こって

それってとっても良いことなのに

 

ちょっと…あの…

使う…かどうかっていうと…

悪いことが起きれば嘆くのに

良いこと起こっても素直に喜べない…

 

人生って、難しいわ。

 

この高級便利家電ちゃんのことは、もう少し考えよう。

祖父の話

故郷へ帰省。

台風が通過してくれて、

飛行機も無事飛んでくれた。

 

私が飛行機に乗ったとき

必ずやる事がある。

飛行機が出発して

加速していって…離陸する瞬間

Gがかかるんかね、なんとも言えない

圧迫感というか、緊張感が走るあの一瞬に、

私は目を閉じて

「今日も安全に飛んで無事到着しますように」

と心のなかで願う。

 

なんとなく、毎度それをしないと

墜落したら

あれ忘れたからや

ってなるのが嫌で

ってか最近は安全性も相当向上して、そうそう墜落しませんけど(笑)

 

そうやって祈る瞬間…

じゃあ誰に守ってもらうんや?

と勝手によぎって

そして勝手に、亡くなった親族の顔が浮かんでくる。

どうかお願いします、守ってくださいね

と都合よくお願いして(笑)

 

今回はふと、祖父の顔が浮かんだ。

 

もの静かだった祖父。

自衛官の真面目で寡黙な人。私が物心ついたころにはすでに引退していたけど。

…と言っても、酒を呑むとややこしかったらしく、すりガラスのドアの向こう、ダイニングで叔父と押し問答してたり、祖母がそれに対してブツクサ文句をこぼしていたのもうっすら覚えてる。

 

私との思い出といえば、

まだ幼稚園のころ。

早々と学習教材を買い与えた母。

なぜか祖父母宅にそのなかの九九表を持ち込んでいて、なんとなく読み上げる程度でしか使ってなかったのに

祖父は私を膝に乗せ

その表をまるまる読み切るまで終わらせなかった。

正直、もう後半はしんどくて

やめたかったけど言い出せず最後まで淡々と読み切った。

 

…幼少期の思い出はこれが一番センセーショナルだな

いやそれ以外、目立った記憶ないな…

祖母との思い出は多いけど…。

 

時が経ち、私がSTの専門学校に通うため祖父母宅に居候させてもらうことになった。

祖父は祖母を助手席に伴って

よく私を車で迎えに来てくれた。

その時も祖母ばかりが喋っていた。

 

ところがしばらくして、

祖父が脳卒中で倒れた。

当時警備員のバイトをしていたのだけど

炎天下のなか駐車場整理をしていて無理がたたったらしい。

まさに脳血管疾患の勉強中であった私。

病院に駆け付けて、

勉強したアレやん…

とそっち目線の見方をしていた、失礼極まりない。

しばらく絶食で

そろそろヨーグルトぐらいなら食べていいでしょう、となって

一般人である私が

ST見習いだから食べさせてみよ、

っていう

今考えたらだいぶリスキーなことしてない!?って話なんやけど

…まぁそこまで嚥下機能は低下してなかったのかな(汗)

そしたらひと口量が多くて

ちょっとあっぷあっぷしちゃって

構音障害の残る口で

「我がで食うてみろっ」

と言ったのは

その後の私の臨床に大きな影響を及ぼす名言となったのであった…

なんでも自分に置き換えて考えてみる、って大事よね…

と祖父をリスクに冒してまで得た経験。

 

結局、それをきっかけに私は祖父母宅から自宅へ戻ることに。長距離通学を余儀なくされた。

 

祖父は、

片麻痺を残しながら在宅生活、

再発、

認知機能も低下して…

私が会いに来たこともあやふやな認識となっていった。

ただ、そうなった頃のほうが笑顔が増えた。

そしていつしか祖母は介護の限界を感じて施設入所、となった。

その頃から母と祖母の関係が悪化して

私も会わせてもらえなくなった。

 

連絡が途絶えて数年。

私の結婚が決まった。

結婚式には祖母にも出席してもらいたくて。

本当は祖父もだけど…

当時の身体状況なら難しいだろうなぁ…

と思いつつ

母を介して案内を送ったけど、

結果祖母の参加も叶わなかった。

 

そしてそこからさらに二年ほど経って

私が長女を出産するころ、

一通の手紙が母に届く。

叔父からだった。

祖父が亡くなったが、遺産というかたちで借金だけが残ったので

相続放棄をしてほしい、と。

 

祖父が亡くなったことが

事後報告として

届けられた。

 

ちなみに、私はさらに、出産間近だったこともあってその事実を出産後に知ることとなり

さらにタイムラグがあった。

 

つまり、母はもちろん

私も家族も

祖父の最期に立ち会えず、

見送りも出来ていない。

母は諦めなのか怒りなのか

墓参さえしていない

私だけでも行きたいけど

墓の場所知らんしな…

 

そう言えば

うちは両親とも

先祖の墓参りってもんを一切しなくて

 

でも結婚してから

夫は年に数回必ず行くので驚いて

でもそれがデフォなんだろなー

 

そうやって

祖父とはふんわりとお別れしたので

未だ実感がわきません。

今もどこかに、静かに存在しているような気がしてる。

 

結局、どんな人だったのか

どんな趣味があったのか

自衛官を退官してからもすぐに警備のアルバイトに就いて

結果病気するまでずっと仕事してたわけで

交流があった頃は私もまだ子どもだったから

何を聴けるわけでもなく

てか何もしゃべらんから近付きがたくて

どんなこと考えてたんだろう

 

祖父のことを片隅に思い出しながら

つかの間の故郷滞在を楽しみます。

 

 

バリウム検査、受けてみた。

いよいよ四十代に突入…

市から、がん検診の無料券が送られてきた。
もう、そんなお年頃ね…

ま、モノは経験ってことで、受けてみることに。

実は昨年の夏前には無料券は送られてきていた。
でもコロナ禍だし…と躊躇しつつも、
でも無料は40歳の時だけみたいだし
(それ以降は、減免という形での実施。それでも充分お得だけど)
受けよう!

…って思ってから腰をあげるまでが…
長い…

しっかりしろっ
アラフォーっ
いや、アラウンドも何もど真ん中シジュウやないか

どうやら
検査するにもいろんな機関があるとのことで
せっかくならキレイな施設で受けたいなー
都会にでも出てオシャレなとこ寄り道できたら…♪
とか色々…調べすぎて
訳分からんごとなる

結局、市の補助で無料で検査できるって事は
各所のオプション(検査後のお食事付♪的なもの)なんて付いているはずもなく
(そんなのは高〜い料金払って受ける人間ドックじゃないと付かないのね…勉強になりました)
結局どこでも一緒じゃねー
ってことに

仕事や諸々の予定から
空いてる日程で
なんとか予約を取り付ける

だから日程を分けていろんな場所に
検査しに行きます
もっと余裕持って日程組めれば
一か所で全部済んだのにねー
それも勉強になりました

さて、今日は胃がん検診
お初のバリウム検査です。

マズイ、シンドイとは聴いてはいたけど、
果たして…

今回は市を巡回してる検診車に予約。
コロナ禍のため、時間を細分化して予約できて、待ち時間は短め。待合も密にならず。

さぁ、私の番です…

本日、『検診車』にて実施です。
大きいバスに乗り込む。
薄暗い車内…

ベテラン?風格のお姉さま技師さんが出迎える

検査技師「初めてですか?」
私『はい…』
「(奥の検査技師に)初めての方ですー」
なぜかこのあと、数回「初めての方」であることを伝達。なぜそないに念入りに…

早口で検査手順の説明
検査後の下剤についての説明

ん〜とりあえずやってみよ。

①顆粒の炭酸を少量の水と共に摂取
「胃を膨らませますよ。ゲップしちゃダメですよ〜!」
ちびちび飲んでたら「はい一気に飲んでー!」

やばい!ゲップ出る…っ!!
必死でこらえながら…

②いよいよあのバリウム摂取
やべー、白い…コップの底見えねぇ…
ファストフードのジュースの紙コップのMサイズぐらいあるのに並々と…
あたしゃジュースだってSサイズしか飲まないんだよ…
ゲップをこらえながらバリウム摂取
マズイ…ってか何も味がしない…
ただひたすらに口腔内にまとわりつく…
合間で、隙あらばゲップくんが顔を出そうとしてくるので、それを押し込むようにバリウムを飲む。
…やっと飲み終わった…っ!
苦しい…やばい…

③間髪入れず「はい検査台にどうぞ!」

④直立の台に立つ。
合図と共に台が傾いて…
ここからは、マイクからの指示。
「そのまま、くるくると回ってください」
…は?
まわる…?

さて、お気付きだろうか…

これだけ情報が溢れている昨今、
私は一切の予習もせずに検査に臨んでいた…

検査台の上で、ゲップを我慢しながらどれだけアクロバティックに動かねばならないか…

では。
まずはイモ虫のようにゴニョゴニョと2回転ほど。
そこからは、検査台が上に〜下に〜ななめ〜?と動く。
合わせて自分でも身体を右に〜左に〜傾けたり…
腕を上げたり…下げたり…
マイクから指示が来るんだけど、機械音がゴーゴーうるさくて聴こえない。
てか自分自身苦しくていっぱいいっぱいやしね…
そんな中ぐるぐる回されてるからね…

あぁ、私は永遠に回り続けるのでしょうか…

とにかくいろんな体勢で、
「はい息を止めて〜!」撮影し、
終了した。

「はい、おつかれさまでした〜!」
ペットボトルの水と下剤をもらい、終了〜。
着替えて車外へ。
テーブルに鏡が置いてある。
口周りに白いバリウム…なんて哀れな姿…
粛々と、ウエットティッシュで拭き取る。
粛々と、下剤服用。ミネラルウォーターで流し込む。

車外のスタッフにお礼を言って、
よろよろと立ち去る
溢れ出すゲップたち
炭酸…発泡…はわわ…

てか…
みんなバリウムがマズイことしか教えてくれんやったやん…
あんな回されるん…
バリウム飲むの確かにしんどいけど、
炭酸+バリウム+回転
ってそのコラボレーションだからしんどいって誰も教えてくれんやったやん…

そんな事をぐるぐる考えながら、
茶店でコーヒーを一服…
急にもよおしたらいけないから、
トイレが充実してるデパートの喫茶店に入ったのサ。
…やっぱデパートのコーヒーは割高ね…

そして後日、調べたらちゃんとあった。
胃がん検診の動画…
だいぶマイルドやけど、
回っとるな確かに…

でもこんなん見てるより、
体験したらはるかにしんどかったわ。
注射だって手術だって陣痛だって出産だって経験してきたけど…
しんどいランキング上位に一気に食い込みましたわ…

そんでもって更に調べたら
近頃は胃がん検診には胃カメラ検査もあって
そちらの方が被ばくなどの侵襲も少なく、検出率も高いと…
胃カメラ胃カメラで、しんどいとはよう聴くけど
今後はバリウム検査はやめとくわ…
やるなら胃カメラにするわ…
ま、でも経験できて良かった。
さて、結果はどうなるでしょうか…。



ちなみに。
下剤服用の、その後は…
とにかくお水を飲むようにとの指示でしたので
アホほど水を飲み…

腹痛が多少ありつつ、
かなり緩くなりつつ…
でしたが無事に排出完了。
お腹のなかで固まらんでよかった。

急性低音障害型感音難聴

漢字、何文字並ぶねん…

っていうこの疾患名ですけども。

6月14日月曜日。
あぁまた一週間始まるな…っていう朝、
なんだか右耳が詰まったような感覚。
なんか気持ち悪いけど、
まぁしばらくすれば無くなるかな、と様子見することに。
でも一週間経っても状況変わらず

22日㈫
耳鼻科受診。
どっち側の耳かはわからんけど、ずっとこもったかんじがする
家族が寝静まったリビングに響く冷蔵庫のモーター音みたいのがずっと耳元で続いてる
そして耳がやたらかゆい
との主訴を伝える

聴力検査(気導、骨導)と、インピーダンス検査施行。

オージオメーターのダイヤル音は意外響くのな…
など、元耳鼻科勤務の私は気になったわけで…

結果、インピーダンスは問題なし
右の気導の低音部のみ低下
というわけでタイトルのとおり診断が付いたわけでございます。

イソバイドシロップ 
なる薬を一日3回服用して治療していくことに。
あとビタミン剤とか。

このイソバイドシロップが、
にっっっっっがいんだ(´;ω;`)
先生からもアドバイスあったしネットにも載ってたけど

オレンジジュース

が一番味を紛らわせてくれますね…

これ、別名
“めまいの無いメニエール病
と呼ばれていて、
実はこれになる人は多いらしい。
まだ詳細は明らかになってないけど、
原因はストレスと言われているらしいと。

一応真面目に三度三度飲み続けましたけども
右耳のこもったかんじはむしろ増し…
なんか聴こえも…
遠くのひそひそ噂話を盗み聴きすることは難しく
←ほっとけ

7/1㈭
受診
先生の診察前に気導聴力のみ検査
右側の検査、ナースさんが「あれ?聴こえてませんか?」
って、おいおいそんなにガッツリ不安感煽る発言しちゃいます!?
機械の不調ではないことを確認するために、左側のヘッドホンを右に付けて再検査。
やっぱり聴力は間違いないらしい。
さらに、この一週間の症状の変化を掘り下げて聴かれる
そして診察
やはり右の低音部、さらに低下。
左もちょびっと。

で、あのにっがいイソバイドシロップが一日5回に増量
さらに改善しなければ、ステロイドを点滴にすることになってそれは個人医院では出来なくて、大きい病院に行かないといけなくて、場合によっては入院しなきゃいけないかも、と
半ば脅され

ストレスが原因ってことだから
それをどうにかしなきゃどうしようないことはわかってるんですが

今はどれも放棄できないしね…
たいがい、いい加減にやっちゃってるし
これ以上手を抜いたら逆にやばいし

内耳の障害なので
血流改善させることが必要らしく
適度な運動や、水分補給も大事なのかなってところで
なるべくお茶とかしっかり飲むようにしてるけど
運動なー
しなきゃなー
めんどくせーなー

薬を飲むだけじゃ治らない気はしております

でも逆に
病気になってちょっと安心したっていうか

そうよね、これ私にはキャパオーバーよね、
って

ガッツリやんちゃ盛りの子どものこと
新一年生の宿題、その他もろもろ環境の変化
自治会役員の仕事
パートにしては重責すぎる仕事内容
とかなんとかを抱えつつ日々の家事業務は待ったなし

いっこいっこ、
要領悪い上に
切り替えが悪く引きずり

どげんかせんといかん
とですけど

まぁとりあえず…
ひとつひとつを
淡々と
やれるだけ
やるしかないなぁってところです。

現状報告でした。

誉めてくれた

母が誉めてくれた

あの、お母さんにですよ
ここのブログではたびたび登場するあのお母さんに

この春、上の子が小学校入学を迎えて
下の子も幼稚園の年少さんに
下の子は昨年秋から園の満3歳児クラスに通ってたから新しい環境、ってほどでもないけど、一応制度的に?新入園ということで。
子どもたち、一気に新生活スタート。

そんなわけで私の両親からも入園入学祝いを頂いて。

お礼を伝える為にテレビ電話。
子どもたちはこのコロナ禍でずっとじいじばあばに会えてないから、
「おいわいありがと〜!」
「ころながおわったらあそびにいくからね〜」
「はやくじいじとばあばにあいたいな〜」
なんて無邪気に話し掛けていて。

電話を切った後、
母からLINEで
『ふたりともおりこうさんに育ってますね、よくがんばったね』
的な言葉が送られてきた。

…的な?

スマホを機種変更するときにミスって、
タイムライン全部消えたんすよねー(涙)

大事なことばがうろ覚えやし、
新生活スタートのゴタゴタのなかでそれに対して返信しとらんし。

なんともアレなんですが…

子どもたちのあの会話から
何をどうくみ取って
おりこうさん
に繋がったかはちょっと不明やけども

子育てを
がんばったね
と誉めるのは誰でもできるわけじゃないと思う。
言うたら上から目線やしね、
他人からそんなん言われても
「は?あんたに何がわかんの!?」
ってなりかねないと思うのですが。

毎回色んな発言で
私をイラつかせることで有名な(笑)
母から
誉められて
嬉しくて涙が出そうになるのを堪えることになるとは

子育て、頑張ってんのよ
一応ね

しかもこの新生活スタートにあたって
準備するものたくさん
書類たくさん
諸々のルールの理解せないかん
イレギュラーに対応せないかん
子どもたちのこと
仕事のこと
自治会の役員のこと
家のこと

もーーーーー
あれやこれやでいっぱいいっぱいで
まじしんどくて

そんななかで誉めてもらえた

子育て
という
子どもが産まれてから
いや、妊娠してから?
今日までの積み重ね
まだまだ先も長いけどね

でもそういうこれまでの“蓄積”を
はっきりと言葉にして認めてもらえることなんてそうそうない
↑みたいなこともあるし
誰しも掛けてくれない、てか掛けられない

だいぶ不満ばっかり募って
素っ気ない対応ばっかりしてる娘に
母親はどう感じてるんだろ
いやでも知らんわ
とか思ってたけど

一応認めてくれてるのかなぁ
と感じて
どこかで安心してる自分

私ももう一歩
進まねばならないな
と感じた出来事でした。

認知症ケアをしてたら私がケアされたよねって話

ざっくり言うとこの療養型病院で、パートを始めた。
リハビリのお仕事なんですが。
約5年ぶり…
鈍って鈍って仕方ねぇ。

90代のマダム。
なかなか離床してくれず、リハにも拒否的。
『私は寝るのが好きやねん』
と目も開けず言う。

でしょうね…。
いやもう、ここまで長生きされてきて、もういいっすよ寝てて、って言いたいとこだけど
それじゃ入院目的がね。

認知症もおありで。
認知症の方に、何かを無理強いして上手くいった試しなぞ一度たりともない。
一応積んできた経験のなかで、そう学んできてたので。
今回もじわじわ攻めてみることにする。

寝衣や布団が乱れてたので、
「これじゃ寒いでしょう~ちょっと直しますわ~」
みたいなとこから。
『そうか~ありがとうな~助かるわ~』
めちゃくちゃ感謝してくれるマダム。
直しながら、世間話。
「いや~もうこの頃寒いですよねぇ~もう私も布団から出なくていいなら出たくないですわ~
でも私も一応主婦やから、それにこの仕事もあるしね、そういうわけにいかんのですわ~」
『あら、そうなん。それは忙しいねぇ』
「うんでもね~こうやって○○さん(マダム)がありがとうって言ってくださるから、やりがいありますよ~」
『そう?いやほんまありがたいわ~もう神さまやわ~』
“マジ神”とか連発する若者並みに
あんた神さまやわ~って繰り返し私に言ってくれるマダム。
「もう~そんな言ってくださってありがたいわ~ほんとに、感謝の言葉を素直に伝えるって、大事なことですよねぇ~もうウチの旦那なんて、ありがとうどころか家に帰ってくるなりブスーっとしてるんですよ~ほんまにもう~」
『あ~それは旦那さん、あなたに甘えてるんやわ』
「そうなんですか?」
『そうやわ~外で気ぃ張ってな、大変やから家に帰ってきたら、奥さんに甘えてしまうんやわ』
「あ~そういうことなんですかねぇ~主人(←夫の呼び方を迷走している)は営業の仕事してるんですよ」
『あ~それは大変やわ、いろんなお客さんおるしな~それは大変やで~それで帰ってきたら、やっぱり奥さんに甘えてしまうんやな~』
「そうなんですねぇ~」

とかなんとか話してるうちに、かすかに目は開いていた。

何ターンかのやり取りを経て、とりあえずこの日は退散することにした。
離床は図れていない。
でも、私なりの狙いは成功。
第一段階として、信頼関係を築くこと。
会話のやり取りを通して、多少なりと認知機能の活性化。
あえて私のパーソナルな部分をさらして、マダムの“マダムたる部分”をくすぐる。

思いのほか、ズバッと返球が来て驚いた。
あ、そうか、夫は甘えているのか…

実はここ数日、ほんとに夫の態度にはイライラしていた。
疲れて帰って来ると、決まってこちらの出来てないとこ、足りてないとこをわざわざ指摘してプリプリしてる。
疲れてる→イライラしてる→言葉のチョイスにもトゲがある。
いやもう、疲れてるんやったら飯だけ食って早う寝ろ。
要らんこと言うな。

でも。
仕事で抱え込んだストレスを、家に帰ってからでないと発散出来ないのだとしたら…
まぁ、そうなるのも仕方ないか…

って思えるかっ

まだ私はそこまで寛大じゃない

でも、マダムの言葉でちょっとそんなとこに気付けた気がして、
まぁそれなら、あの夫の“妻”として存在する価値はあるのかな、とは思えたりもした。

認知症はあって、活動意欲も減退してるけど
人を励ます言葉がすーっと出てくる
マダム、さすがです…
ダテに90年生きてきたわけじゃないんすね…

そんなわけで
私は認知症のケアをしに伺ったけども、
私自身マダムにケアしてもらっちゃったなと思ったのでした。

ちゃんちゃん。