自己肯定感

『自己肯定感』

自己を肯定する感覚。
自分はこれでいいんだ、
♪ありの~ままの~♪
で良いのよ、私!
少しも寒くないわっ!

みたいな感覚を大切にしましょうね、
って話らしいですよ。今は。

日本人は“謙遜”を美徳とするところがあるけど、
そうやって自分を卑下して
自分自身を大切に出来ないと
人生楽しくないし。
他人のことも大事にできない、と。

なるほどなぁ。
子育てする上で、大事だなと。
でもどうやって自己肯定感を育てる…?
とあれこれ調べたり、試行錯誤していたら。

一方その頃
旦那も…
会社で研修を受けてきたらしい。
『営業マンには自己肯定感が重要!』
なんとっ!
イムリー過ぎる…
子育てにも仕事にも、何にでも自己肯定感って大事なんだ。

そうやって自己肯定感を学んだ旦那から、思わぬ一言が。
「お義母さんは、自己肯定感が低いんじゃない?」

ほぉぉ…
以前からブログにも登場しております、問題アリアリの私の実母。
すとん、と腑に落ちた。
あんな行動もこんな言動も、自己肯定感が低いからと推測すれば全て合点が行く。

多感な思春期から、嫁いで家を出るまで
自分の人生の節目節目を、自分で選択してこなかった母。
良かれと思って、母親(私の祖母)が“導いた”わけだけども、それはイコール「あなた自身が選択して進めば踏み外すわよ」と言われているようなもので。

母の発言はいつも、誰かに責任転嫁しているふしがあって
私は苛ついていた。
それこそ私のせいみたいに言われたことも少なくなかったし

おそらく、母は自分に自信がないのよなぁ。
自分が間違うのを、極端に恐れていたのかなぁ。

「恥はかき捨て」
だと学生時代に聴いて、やたらと耳に残っていたのだけど。
間違ってもいい、
でもそれを素直に認めて、どう立て直すか、改めて学べるか。そっちの方が大事。
ってちゃんと認識出来たのは、随分後のことだった。プライドばっかり高くて意固地だった私。
…ま、今も完全に克服できてるわけではないけど…

でも母はそんな私以上に
ガッチガチに硬いプライドの壁で自分を覆い尽くしてる。
入る余地なし。

さて。
入る余地なしの人と、どう付き合ってくかって話ですよね…
他人はどうこうできませんから。
いくら身内といえどね…しかも親子ですけどね…

自己肯定感、大事だな…
我が子にはきちんと育んでやりたいわ…

まだまだ解決法は見つかりそうにありません。

子どもの頃の思い出

自分が今子育てをしていて、
じゃあ自分はどう育ててもらってきたかなーって思い返すとき

ネガティブな出来事しか思い出せない自分…

いや、楽しい思い出だって沢山あるやろうし
ポジティブな出来事の積み重ねで
それなりに健全な今の私(ですよね?だと信じたい)が形成されてきたんだろうし。

でも

小三のクリスマス、人生初のインフルエンザにかかったあげく、母に「サンタクロースなんておるわけなかやろ、あんた三年生にもなってそがんこと信じとったとね」と無惨にも夢を打ち砕かれたこととか

小二のとき、おつかいに出掛けて、一応多めにと渡されたお金のお釣りで勝手に可愛いマグネットを買いまくって母に激怒されたこととか
(↑この出来事は後に私を“モッタイナイ体質”へと導くことになるのでまぁ悪くはなかったか…)

小六の大みそか、いつまでもリビングにランドセルを放置していた(よう考えたら冬休み入ってるのにまだ放置してたとかよっぽどだな)ので、父に二階のベランダから暗い夜道にランドセルを投げ捨てられ、それを拾いに出たらタイミング悪くお向かいのお喋りおばちゃんに遭遇して「あら、こんな時間に帰って来たと?どうしたと?」と追及されしどろもどろになったこととか

ま、こうして書き出してみるとしょーもない出来事ばっかりだな(笑)

でもさ、こんなかんじでネガティブな出来事なら、すらすら思い浮かぶよねー。

楽しかった思い出…
ん~
すぐには思いつかん


まだまだ今の我が子たちには“記憶”としては残ってないだろうからな
でもいずれ大きくなったら
親との楽しい思い出、沢山残していってほしいなぁ…

ひらがなが書けるようになってきてる娘が

『 おかあさん だいすき 』

と書いてくれてる、その気持ち
いつまで持ち続けてくれるかなぁ
なんて

一年前の日記では
悪魔の三歳児だった娘も
世に言う
天使の四歳児にほんとになりました
いやー良かったよかった

それと入れ替わりで
魔の二歳児が出てきましたから
相変わらず大変やけど(笑)
もうこれは耐えるしかないよなぁ
がんばろ。

ハケンの女~ピッキング~

ピッキングて。
犯罪じゃございません。

洋服を出荷するため、全国各地のお店からの注文に従って、決まった数を洋服をピックアップしていく作業。

めっーちゃ広いスペースに、
膨大な種類・量の婦人服…
ここは主に、若い女の子向けのみたいやね。

エリア、列、棚…
細かく番号が振り分けてあって、
それを頼りに服を集める。

とにかく膨大なので、
探し出すのも一苦労…
工場の中をうろうろウロウロ歩き回る。
番号を探すの、地味に頭も使う。
お昼前になると、お腹がグーグー鳴りまくる。

女子の服。
こんなんもあるのね…
おっかわいいなーと思うものや、
平成バブリーな配色のも。金ボタン付いてたり。
でも若者の服は、アクリルやポリエステルのが多いから
すぐ毛玉付いたり
静電気バチバチしたり
のわりに言うほどお手軽な値段、というわけでもないし
もうおばちゃんにはちょっと…

なーんて妄想しつつも
手は動かしてましたよ。

お昼休憩。

午後の作業再開。
…したら。まさかの。
1時間経過したとこで
「今日もう上がってもらっていいですか」
と、責任者的な若いお兄ちゃんから一言。
すげーあっさり終わるじゃん…
今日は割りと出荷量少なめだったみたいです。

むむ…
ま、お疲れさまでした。

ハケンの女~飲食店~

最近、日雇いのバイトを始めた。
旦那が休みで、子どもの面倒を見れるときだけ。
ちょっとずつ社会復帰、リハビリみたいなもんです。

今のとこ、いろんな所で仕事させてもらって、
ほんと世の中って色々あるんだなーと勉強させられることばかり。

さて。
今日は飲食店のホールのお仕事。
50人規模の宴会で、
お食事出したり
下膳したり。

約二時間、とにかくバタバタ。

広いお座敷、お客様が自由に移動してお酌したり語り合ったり…
の間を縫って、配膳。
仲居さんが配膳はしていくので、私はお料理が沢山載ったお盆を、とにかく落とさんようにこぼさんように、慎重に運びながら仲居さんの後ろを付いていく。

間で下膳。

すんごい量の皿が帰ってくる。
裏の皿洗いのおばちゃんはたった一人。
とても追いつかず、
私も食器を拭きあげるお手伝い。

また次のお料理が出てきたら配膳。

また食器拭き。
黙々と拭き続ける…

あっという間に二時間経過。
おひらき。

お客様の靴を玄関に並べ、
番号札と照らし合わせてご用意。

さぁ、後片付け…
もう、ここが今日のハイライトやね。

残食量の多さ。
全く手を付けてないものも沢山。

飲みかけ沢山。
そんなに瓶ビール開ける必要あった?

『フードロス』とか言うことば、
最近良く聴かれるようになったけど。

いやこんなにロスしてんのか!!
めっちゃくちゃもったいない!!!

残ったお食事だけで充分宴会できる。

せっかく頑張って作ったのにね…
頑張って運んだのにね…

これは虚しさ半端ないわ。

お酒呑んだらお食事が入らなくなる、とか
おしゃべりに夢中で、とか
好きじゃなかった、とか

いろんな理由はあるだろうけどねぇ~

私はけっこう、
『出されたものは残さず食べる』主義なもので。

カルチャーショックってこういうことね、と実感した出来事でございました。

お疲れさまでした~

嵐の活動休止についての一考察

もう、だい~ぶ前のことになりますが(笑)

大事件でしたので
まとめておきましょう。

第一報を聴いたのは、日曜の夕方のことでしたね。
友人からのLINE…
ただ、
『嵐。。😱』
とだけ送られてきた
…けど、これだけで充分予感はできた。
…あまり良くない方面ね、ってこと。

慌ててネットニュースを確認…
『嵐 活動休止』
の文字。

まぁ、いつかこんな日は来るかなーなんて
うっすら思いもしてたし、
なんとなく私の中の“嵐熱”は冷めつつあったし、
活動休止(これが当初は“解散”の意に感じてた)と訊いて…
びっくりするまい、悲しむまいと思う自分がいた。
そう、言い聞かせたわけです。

とりあえず夕方の家事をこなす。

家族が寝静まったあと、
ひとり「Mr.サンデー」の嵐の記者会見を観る。

やっぱり翔くんの語りは冷静だった。
でも、内心溢れだしそうな想いもあったんじゃないかなぁ。
少し早口になって、
涙目だったような…

いや、初めはニノの結婚きっかけかと思ったよね正直(笑)

ごっつごつ。
最近のテレビは高性能過ぎてあかんな…
アラも隠されへん

個人的にはね。
もうここで終わりで良いんじゃないかなぁなんて考えたり。

急に登山例えっ(笑)
いや、でもそんな感じの心境なんじゃないかと…

ゴタゴタと、あることないことくだらねーことニュースになりますな(笑)

そんな~時代も~あ~ったねと~
き~っと~笑って~はな~せるわ~

…話せるかっ(笑)

2020年まで。
見守ることにします…。

そして放置

いやー
一ヶ月経つのがあっという間です
もう年末やって

年賀状、
大掃除、
なんやかんや…

子どもがわちゃわちゃ…

もう、

あっ

って。

気づいたら一日終わってて、布団の中におります…

年末と言えば
M-1グランプリでしょうかね。

急にっ

いやまぁ、なんやかんやで毎年見ますしね。

今年こそは和牛かと思いましたが…
オレオレ詐欺おもろかったけどなぁ
むちゃくちゃ練り込まれたネタやったし、
ものすごく絶妙な間で
良い~表情みせてたし

まさかの霜降り明星
勢いに押されたねー

そんな年末です
どんな年末だ

来年も良い年になりますように。。。

連鎖

親子の関係性というのは…

連鎖していくもんなんでしょうかね

昨日サラッと触れましたが
私の母方の祖母の話

祖母は母を一方的に絶縁しています
出戻った叔父と一緒に暮らしている…はずですが
実家もいつの間にか売り払われており
音信不通の状態

そもそも祖母は
母に今の父との見合い話を持ってきて
当時彼氏がいたにも関わらず
それを知らないフリをして
ゴリ押しした
その当時の時代的に
親に背いてまで彼氏と駆け落ちするなんてことはまず考えられかったらしく
その見合いをして
結婚したらしい

まぁそうやって結婚してくれたから
私も弟も産まれたし
感謝ですけども

本当に好きな人と一緒になれなかったって
それはやっぱり悲しいよねぇ

その彼と出会ったのもまた
“祖母がゴリ押しして決まった”職場でのこと

祖母に敷かれたレールの上で
祖母に踊らされた…
と言ってもおかしくない母

だから私には
自分で自分の将来を選択できるよう
育ててきたらしい

うん
今の私には
そんな母の選択
考えられない
絶対自分が思うようにやるよ…

そんな母を
可哀想だなと思う反面

そんな運命を祖母のせいにして
悲劇のヒロインぶっているようにも見えて

そんな昔のことどうこう言ったって仕方ないじゃないかって
(いや実際にはどうこう言ってはいないんだけどね、なんかそんな感じの不満が滲み出てる)

自分なりにこれから先を開拓していったら良いじゃないかって思うんだけど
ある意味祖母に“支配されてきた”母にとって
今さらそんなことは難しいんだろう

で、
ウチの父というのが
周りからも太鼓判の
むちゃくちゃ良か人間
ってことだったから、見合いを進めて
結婚した当初は祖母も大絶賛だったらしいんだけど

まぁなんせ、若い頃から自営業立ち上げてワンマンでやってきたもんで、
かなりの頑固者で
しかも昔の人間だからねぇ

母に辛く当たることも多く…

その愚痴を祖母は沢山聴かされることになり
祖母はおそらく
こんなはずじゃなかった
と思ったことでしょう

もう実家に帰ってこいと母は何度も言われたらしい
それでも私と弟がいたから
母は
がんばる、
帰らない
と言っていたみたいで

祖母にとっては
自分に従わない娘なんて
もう娘じゃない
と徐々に思ってきたのか…

そして昨日書いたように
我が家はみんなドライなので(笑)
徐々に連絡も減り、
実家に立ち寄ることも減り…

んで、私が知らないところで
なんやかんやイザコザもあったのかもしれない

そんなこんなで
もう修復不可能なところまで来ていた

…のが私が結婚する頃ね。

ここに至るまでの間…
子どもだった私がそんな事を知る由も無く。

私が小さいころ
母の実家にも良く帰っていたし
祖母も頻繁に遊びに来てくれていたから
祖母になついて
私は祖母が大好きだった
祖母と一緒の布団に寝るのも大好きだった
祖母の料理はなんでも美味しかったし
なんでもないカレーですらむちゃくちゃ美味しかったし
聞き上手の祖母に色んな話をして
めちゃくちゃ良いリアクションしてくれる祖母の姿が嬉しくて
いつしか私は
「祖母のような聞き上手になりたい」
と思うようになった

結婚式のお色直しは祖母にエスコートしてもらうんだと決めていた
ひ孫の姿も見せたいと思ってたし

でもそれはついに叶わなかった

私が就職して数年は
私ひとりで会いに行ったりしてて
だからそこまでの様子はわかってる

でも母や父は私が高校卒業以降ぐらいから
会いに行ってないんじゃないかな
忙しさを理由に
意図的に…?どうしても…?
どちらかはわからないけど

でも私が結婚する数年前ぐらいから
なんやかんや理由をつけて
私にも会うことを拒み続けるようになった
叔父経由で

そうこうするうち連絡は途絶えた

今も元気でいるのかはわからない
年賀状だけは送り続けてるけど、返事は無い
…けど、宛先不明で返ってくることもない
届いてはいるってことだろうか

祖父は亡くなったらしい
私が結婚する少し前に

それもしばらく経ってから
叔父から手紙が送られてきて初めて知った
母も、ですよ

実の父の死に目にも会わせないって
よっぽどの恨みがあるんだろうか

それで母は
もう諦めっていうのか
逆ギレっていうのか…

もうそれ以上の追及もしないんだって

私は納得出来なくて
抗議と
あと墓参りぐらいさせてほしい
って旨の手紙を送ったけど
的を得た返事は返ってこず

それでも納得出来なかったから私ひとりで母の実家まで行ってみたら
実家は引き払われ
叔父の経営していた場所も閉められていて
…っていうのがわかった


そう言えば祖母自身の親戚関係も仲は良くなかった
叔父が就職のとき、祖母の兄に世話してもらったけど後にいじめられたとかなんとか
そのあたりから?
仲がこじれて…
私も小さい頃は
曾祖母宅にも遊びに行ったりしてて
徐々に疎遠になってたから、関係性が崩れていってるのは私にもわかったけど
私が高校卒業後ぐらいの曾祖母や大伯父の葬儀にも参列したし
だから親兄弟の死に目には会えてる祖母

母にはそんな仕打ち
優しい祖母だと思ってたのにな

孫の私が
祖母と母の間をなんとか取り持ちたかったけど
無力過ぎました

今はもう奇跡を願うしかない
もう一度祖母と会いたいけどな
ひ孫にも会って欲しいんだけど

そんなこじれた母娘の関係を間近で見ていて
なのに母に嫌悪感を感じる私がいて
そんな自分に危機感を覚え
母となった自分は娘に何が出来るのだろうと
今は試行錯誤です…

どうにか、嫌な連鎖を絶ち切りたい。
と、思っています。