祖父の話

故郷へ帰省。

台風が通過してくれて、

飛行機も無事飛んでくれた。

 

私が飛行機に乗ったとき

必ずやる事がある。

飛行機が出発して

加速していって…離陸する瞬間

Gがかかるんかね、なんとも言えない

圧迫感というか、緊張感が走るあの一瞬に、

私は目を閉じて

「今日も安全に飛んで無事到着しますように」

と心のなかで願う。

 

なんとなく、毎度それをしないと

墜落したら

あれ忘れたからや

ってなるのが嫌で

ってか最近は安全性も相当向上して、そうそう墜落しませんけど(笑)

 

そうやって祈る瞬間…

じゃあ誰に守ってもらうんや?

と勝手によぎって

そして勝手に、亡くなった親族の顔が浮かんでくる。

どうかお願いします、守ってくださいね

と都合よくお願いして(笑)

 

今回はふと、祖父の顔が浮かんだ。

 

もの静かだった祖父。

自衛官の真面目で寡黙な人。私が物心ついたころにはすでに引退していたけど。

…と言っても、酒を呑むとややこしかったらしく、すりガラスのドアの向こう、ダイニングで叔父と押し問答してたり、祖母がそれに対してブツクサ文句をこぼしていたのもうっすら覚えてる。

 

私との思い出といえば、

まだ幼稚園のころ。

早々と学習教材を買い与えた母。

なぜか祖父母宅にそのなかの九九表を持ち込んでいて、なんとなく読み上げる程度でしか使ってなかったのに

祖父は私を膝に乗せ

その表をまるまる読み切るまで終わらせなかった。

正直、もう後半はしんどくて

やめたかったけど言い出せず最後まで淡々と読み切った。

 

…幼少期の思い出はこれが一番センセーショナルだな

いやそれ以外、目立った記憶ないな…

祖母との思い出は多いけど…。

 

時が経ち、私がSTの専門学校に通うため祖父母宅に居候させてもらうことになった。

祖父は祖母を助手席に伴って

よく私を車で迎えに来てくれた。

その時も祖母ばかりが喋っていた。

 

ところがしばらくして、

祖父が脳卒中で倒れた。

当時警備員のバイトをしていたのだけど

炎天下のなか駐車場整理をしていて無理がたたったらしい。

まさに脳血管疾患の勉強中であった私。

病院に駆け付けて、

勉強したアレやん…

とそっち目線の見方をしていた、失礼極まりない。

しばらく絶食で

そろそろヨーグルトぐらいなら食べていいでしょう、となって

一般人である私が

ST見習いだから食べさせてみよ、

っていう

今考えたらだいぶリスキーなことしてない!?って話なんやけど

…まぁそこまで嚥下機能は低下してなかったのかな(汗)

そしたらひと口量が多くて

ちょっとあっぷあっぷしちゃって

構音障害の残る口で

「我がで食うてみろっ」

と言ったのは

その後の私の臨床に大きな影響を及ぼす名言となったのであった…

なんでも自分に置き換えて考えてみる、って大事よね…

と祖父をリスクに冒してまで得た経験。

 

結局、それをきっかけに私は祖父母宅から自宅へ戻ることに。長距離通学を余儀なくされた。

 

祖父は、

片麻痺を残しながら在宅生活、

再発、

認知機能も低下して…

私が会いに来たこともあやふやな認識となっていった。

ただ、そうなった頃のほうが笑顔が増えた。

そしていつしか祖母は介護の限界を感じて施設入所、となった。

その頃から母と祖母の関係が悪化して

私も会わせてもらえなくなった。

 

連絡が途絶えて数年。

私の結婚が決まった。

結婚式には祖母にも出席してもらいたくて。

本当は祖父もだけど…

当時の身体状況なら難しいだろうなぁ…

と思いつつ

母を介して案内を送ったけど、

結果祖母の参加も叶わなかった。

 

そしてそこからさらに二年ほど経って

私が長女を出産するころ、

一通の手紙が母に届く。

叔父からだった。

祖父が亡くなったが、遺産というかたちで借金だけが残ったので

相続放棄をしてほしい、と。

 

祖父が亡くなったことが

事後報告として

届けられた。

 

ちなみに、私はさらに、出産間近だったこともあってその事実を出産後に知ることとなり

さらにタイムラグがあった。

 

つまり、母はもちろん

私も家族も

祖父の最期に立ち会えず、

見送りも出来ていない。

母は諦めなのか怒りなのか

墓参さえしていない

私だけでも行きたいけど

墓の場所知らんしな…

 

そう言えば

うちは両親とも

先祖の墓参りってもんを一切しなくて

 

でも結婚してから

夫は年に数回必ず行くので驚いて

でもそれがデフォなんだろなー

 

そうやって

祖父とはふんわりとお別れしたので

未だ実感がわきません。

今もどこかに、静かに存在しているような気がしてる。

 

結局、どんな人だったのか

どんな趣味があったのか

自衛官を退官してからもすぐに警備のアルバイトに就いて

結果病気するまでずっと仕事してたわけで

交流があった頃は私もまだ子どもだったから

何を聴けるわけでもなく

てか何もしゃべらんから近付きがたくて

どんなこと考えてたんだろう

 

祖父のことを片隅に思い出しながら

つかの間の故郷滞在を楽しみます。